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あべ のぞみ

旧:おさかな秘書

元県議会議員秘書

1981年5月26日 北海道札幌市生まれ

2004年から長崎市民

(住吉→片渕→深堀→戸町→中町→戸町)

北海道立札幌東高等学校普通科卒

中央大学法学部法律学科卒

JAPAN MENSA 会員

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保護猫たち。4匹います。

目の前で倒れていってしまった、
長崎が守れなかったふたつの大切なもの。
​そして今、私の長崎19年目の春。

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私は今、生まれ育った街ではない西の端っこの長崎市で、立ち上がってしまった。

10年以上も幸せにのんびりと主婦業を続けていただけの私が長い眠りから覚めるには、2つの大きなスイッチがあった。

 

1つは創部99年の歴史を誇る社会人野球の名門、「三菱重工長崎硬式野球部」の廃部。

今は重工横浜と合併したスリーダイヤのそのチームを、私は大学卒業以来応援し続けていた。

年々とチームを維持することは難しくなり、ついに2016年に廃部。

その時に強く思ったことは、今から99年をかけなければ新しい重工長崎というブランドを作ることはできないということ。

​つまり歴史は、わたしたちが新しくすぐに生み出せるような種類のものではない壮大な価値だということだった。

これをなんとかして守る術はないかと考え、行き着いたのが重工長崎の選手を中心とした野球アカデミーを作ることだった。

 

また、その翌年にはずっと行きたいと願っていた西山の料亭「富貴楼」さんが閉店となってしまった。

​長崎を代表する建物であり、この街の華やかな文化を支え大切な人たちをもてなしてきた場所。

ここもまた、維持していく難しさの前に倒れてしまうことになってしまった。

​この街が大切にしてきたものが、二つも、目の前で倒れるのを見た。

長崎に暮らして、物足りないこともいくつもあった。

それでも私には関係のないことだった。

いつか誰かがなんとかしてくれると思っていたから。

スラムダンクの仙道みたいな人がそのうち出てくるんだと思っていたから。

けれどこの時、ようやく気がついた。

誰かがなんとかしてくれる、

​その誰かは、自分なのかもしれないと。

長崎市は守るべき価値あるものが散りばめられたような街だ。

新しい物を作り、古い物は壊されていくけれど、

ここにしかない街を作っていくには、デメリットを鑑みながらも「守る」という選択肢を取っていかなければならない。

限りある予算の中で、資源の中で、歴史的価値の中で。

私たちはここにしかない街を作っていくために知恵を絞っていくことができるはずだ。

これ以上、歴史ある長崎が薄められて、どこにでもある街にされていくのを黙って見ているわけにはいかない。

同じように長崎を、唯一無二の誇りある街へと取り戻したいと願う皆さんと共に、​創っていきたい。

今、長崎に市民が信用できる地方自治が成り立っているだろうか。

市民が置き去りで物事が進められているようなことが起きてはいないだろうか。

賛成があれば反対は必ずある。意見が違うのは当たり前だ。

多くの人たちが一緒に生きているということはそういうことなのだから。

 

だからこそ、考えが違う人にも納得してもらえるように努める姿勢が必要だ。

そしてそれこそが、政治の大事な仕事なのではないかと思っている。

みんなが賛成するような素晴らしい政策を立てることも重要。

けれど、みんなが納得してくれるように、すぐそばにいて、長崎の「今とこれから」の見通しを伝えていける人が必要だ。

 

この街をいつか誰かがどうにかしてくれる。

皆さんも今、そう思っているかもしれない。

けれど最後に言いたい。

その誰かは、この街の皆さんお一人お一人だ、と。

「この街を、生活を守っていけるのは自分なんだ」と気づいた時に、この街が本当により良くなっていくスイッチが入る。

まだ間に合う。一緒にこの街のスイッチを押していきましょう。

​もっと語りかけるような口調で書けばよかった。

富貴楼さんから譲り受けた屏風です。

戸町の築90年の古民家をリノベーションして暮らしています。

ざっくり年表

1981年5月26日15:09 

1984年〜1987年3月

1987年4月〜1993年3月

1993年4月〜1996年3月

1996年4月〜1999年3月

1999年4月〜2000年3月

2000年4月〜2004年3月

2004年7月〜

2016年

2018年

2018年4月〜2019年2月

2019年3月〜5月

2019年6月〜2022年11月

2022年12月〜2023年4月

2023年4月23日

北海道札幌市西区琴似の今はなき産院にて、

晃久と多恵子の第一子として帝王切開で生まれる。

​晃久は繊維商社の札幌支店長、多恵子は全日空のCA退職後、札幌市中央区でブティック経営のアパレル夫婦。

札幌市中央区の札幌医大の近くにある「さより保育園」でたくさんの絵を描いて過ごす。ぐりとぐらのイラストを量産するなどしていた。

札幌市立二条小学校入学。

3年生から小学校のブラスバンド部に入部しアルトホルン、コルネットを担当。コンクールのために部活に燃える小学生時代を過ごす。

札幌市立啓明中学校入学。

​美術部を経て吹奏楽部に所属し、トランペットを担当。

​弱小吹奏楽部が最後の年に全道大会に出場できたことだけが思い出。

中1の頃に両親が離婚。

​親一人、子一人のシングル激貧家庭に。​

北海道立札幌東高等学校普通科入学。

中学から誰も進学しない高校に死ぬ気で勉強して入学。

帰宅部として出席日数ギリギリで3年間元気に活動。

駿台予備校札幌校入学。

​世の中の役に立たない穀潰しの負い目を存分に感じながらも開放感に満ちたとても楽しい1年間を過ごす。

中央大学法学部法律学科入学。

​ゼミはローマ法(不法行為)。

早稲田大学教育学部社会学科地理歴史科と迷った末に、「キャンパスが北海道みたいで落ち着いたから」という理由で中央大学を選択。

4年間、ひたすら読書と駅伝と神宮球場を堪能して自由を謳歌した。

3年後半から甲状腺機能亢進症に悩まされていることに気づかず、体調不良を常に抱えて生活。

​手の震えにより文字が書けなくなり、就職活動から逃走。​

長崎市へ。

原総合法律事務所

株式会社童話館

放射線影響研究所

ITTO個別指導深堀校

個人事業Nagasaki Style LABO

 

療養、不妊治療をしながら塾講師をして主婦業メインの生活を続ける。

ゲーム・漫画・アニメの二次元が生活の8割で、声優ヲタとして活動。

好きな声優は中村悠一、小野大輔、波多野渉。

得意なゲームのジャンルは音ゲーと乙ゲー。

​特に好きな作品はペルソナ4、FF零式、project DIVAシリーズ、モンハンなど。

三菱重工長崎硬式野球部、創部99年の歴史に幕を下ろす。

​料亭「富貴楼」閉店、解体。

​上記2件の長崎の歴史あるもの倒れていくのを目の当たりにし、「このままではいけない、いつか誰かがやると思っていたが、もしかしてそれは自分なのかもしれない」と思い立ち動き出す。

長崎県議会議員前田哲也事務所

長崎県議会議員中村たいすけ事務所

​政策秘書

県議秘書を退職し、活動開始。

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